千葉大学大学院融合理工学府 先進理化学専攻
生体機能化学研究室
Laboratory of Biofunctional Chemistry
研究内容
Our Research
ジアシルグリセロール(DG)とホスファチジン酸(PA)は様々な酵素・蛋白質をターゲットとし,様々な生理活性を有する脂質性シグナル分子であることが知られています(図1).当教室は,DAGをリン酸化してPAを産生する酵素(DGキナーゼ(DGK))(図2)とその逆反応を触媒するホスファチジン酸ホスファターゼ(PAP,別名lipid phosphate phosphatase, LPP)(図3)のクローニングに初めて成功し,それらの生理機能の生化学的解析を中心に研究を進めています.
また,生化学をはじめとした生命科学研究に役立つ方法論の確立にも力を入れています.
現在,以下の9つの研究プロジェクトが進行しています
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1.イノシトールリン脂質代謝回転とは独立した新規ジアシルグリセロール代謝経路群の同定. (村上が中心となって実施している研究課題)
DGKがホスファチジルイノシトール(PI)代謝回転を構成する酵素であることから従来,漠然と,DGKの全てのアイソザイムの基質(DG)はPI代謝回転のPI由来であるとドグマの様に信じられてきました.
しかし最近,質量分析法を用いた解析により,従来の定説に反し,DGKε以外のアイソザイムの基質となるDGの大部分が「PI代謝回転とは独立した未知の系」により供給されることを強く示唆する予備的知見が得られました.加えて,これらDGKが関与する「新規DG代謝経路」が存在すれば,様々な生理・病理現象において重要な役割を担う可能性が高いことが考えられます(例えば,難治性がん,糖尿病,双極性障害,パーキンソン病,自己免疫疾患など(表1参照)).
そこで,この未知のDG代謝経路を探索・同定し,更には制御しようと試みています.
最近,DGKδにDGを供給する酵素としてスフィンゴミエリン合成酵素関連タンパク質(SMSr)を同定しました[論文1,論文2].
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2. DGKδによる上皮増殖因子(EGF)受容体とインスリン受容体の活性制御機構.
DGKのδアイソザイムのノックアウトマウスを作成し,その表現型を解析したところ,本アイソザイムはEGF受容体(発癌などに関与)やインスリン受容体(糖尿病発症に関与)の活性を制御していることが明らかになりました.
現在,その分子機構を明らかにすることを試みています.また,脳特異的コンディショナルノックアウトマウスを作成して,DGKδの脳内での生理的役割を明らかにしようとしています.
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3. DGKηによる細胞増殖の制御機構.
DGKのηアイソザイムが,癌化した細胞で多量に発現していることを見出しました.更に,細胞のEGF受容体シグナル伝達系
「EGF→EGF受容体→Ras→B-Raf→C-Raf→MEK→ERK→細胞増殖」
において,DGKηが,B-RafとC-Rafの異種二量体形成を促進して,C-Rafを活性化することによりこの系を正に制御していることを明らかにしました.
また,DGKηが双極性障害(躁鬱病)発症に関与する可能性について,ノックアウトマウスを作成してその実証を試みています.
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4.DGKαによる癌細胞のアポトーシスの抑制機構.
研究により,DGKのαアイソザイムは,正常ヒト色素細胞では検出が不能ですが,一方で,メラノーマ(悪性黒色腫)細胞には強く発現していることを見出しました.更に,DGKαはメラノーマ細胞の腫瘍壊死因子α依存性のアポトーシスを強く抑制し(逆にsiRNAで本アイソザイムの発現を抑制するとメラノーマ細胞のアポトーシスを促進します),この効果は,核内DGKαによるNF-κB活性化による可能性が高いことを明らかにしました.
現在,その分子機構を更に詳しく明らかにすることを試みています.
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5.DGKγによるRac1の活性制御機構.
DGKのγアイソザイムは,EGF刺激などで上昇する低分子量Gタンパク質Rac1(細胞骨格系や細胞形態の制御や癌の浸潤に関与)の活性を抑制することが明らかになりました.現在,その制御機構を分子レベルで解析しています.
DGKは神経細胞(小脳プルキンエ細胞)で大量に発現しているので,神経細胞における機能も探っています.
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6.DGKアイソザイム特異的活性制御剤の開発.
酵素特異的活性制御剤(阻害剤&賦活剤)が,生命科学研究の発展に大きく寄与してきたことは論を待ちません.しかし従来,DGK活性測定は放射性同位元素や薄層クロマトグラフィー等を用いる煩雑なものであった為に,効率的な化合物スクリーニング系が組めず,10種のアイソザイムそれぞれに特異的な活性制御剤の開発は事実上不可能でありました.この克服は我々の義務と考え,試行錯誤の末,ようやく最近high-throughput DGK活性測定法の確立に成功しました.本法は我々独自のノウハウを複数含み,他では真似が出来ないと考えます.今後全アイソザイムそれぞれに特異的な活性制御剤の開発に成功すれば,汎用ツールとして用いて(共同研究も通じて)脂質の新機能,そして「脂質新大陸」の発見を目指すことが出来ると信じています.
更には,各アイソザイムが決定的に制御するメラノーマ等の種々の難治性がん(DGKα,γ,η,ι),2型糖尿病(DGKδ),双極性障害(DGKβ,η),てんかん(DGKε),パーキンソン病(DGKθ),免疫不全(DGKα,ζ)等の疾病の治療薬の開発も視野に入ってきます(表1).
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7.II型PAPアイソザイム(PAP2a,2b)の生理機能の解析.
PAP2a(LPP1)と2b(LPP3)は細胞外に触媒部位を持つエクト酵素で,PA以外にも,リゾPAやスフィンゴシン1リン酸などが脱リン酸化します.最近,PAP2aと2bが性質の異なる別々のラフトに存在することを明らかにしました.これらのアイソザイムの異なる存在様式が生理機能の違いにどのように反映しているのか(今のところPAP2aと2bが異なる生理機能を持っていることも定かではありません)を明らかにすることを試みています.
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8.脂質性シグナル分子の可視化プローブ(探査子)の開発.
重要な脂質性シグナル分子の一つであるPAの細胞内での動きをリアルタイムに見ることを可能にするプローブはまだ確立していません.このPAに高親和性に結合する,ペプチドの可視化プローブとしての可能性を検討しています.
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9.特異的異種二量体形成分子の開発.
これまでに異種と同種が混在する二量体を人為的に細胞内で作成することは出来ましたが,特異的に異種二量体のみを形成することは出来ませんでした.我々は,DGKδのあるドメイン(特許出願前なので秘密)に着目し,特異的異種二量体形成分子としての可能性(スーパー細胞が作成可能になる?)を探っています.
図1.DGKの基質(DG)と反応産物(PA)の標的蛋白質
星印はDGの消費又はPAの産生を通じて制御されることが既に強く示唆されている標的蛋白質を示す.
DG, diacylglycerol;
PA, phosphatidic acid;
DGK, DG kinase;
PAP, PA phosphatase;
LPP, Lipid phosphate phosphatase; PC, phosphatidylcholine ;
PI, phosphatidylinositol;
PI(4,5)P2, PI 4,5-bisphosphate;
PLC, phospholopase C;
PLD, phospholipase D;
cPKC, conventional protein kinase C;
nPKC, novel PKC;
PKD, protein kinase D;
RasGRP, Ras guanyl-releasing protein;
TRPC, Transient receptor potential channel;
RasGAP, Ras GTPase activating protein;
PIP5K, PI-4-phosphate-5-kinase; SphK, sphingosine kinase;
aPKC, atypical PKC;
PP1c, protein phosphatase-1 catalytic subunit;
mTOR, mammalian target of rapamycin;
SHP-1, Src homology 2 domain-containing protein-tyrosine phosphatase 1;
Sos, Son of sevenless;
SF1, steroidogenic factor 1
図2 ほ乳類DGK遺伝子ファミリーの構造模式図
最近発見された7種の選択的スプライス産物も加えた.
略語:RVH, recoverin homology;
PH, pleckstrin homology;
SAM, sterile α motif;
MARCKS, myristoylated alanine-rich C-kinase substrate.
図3 PAP(LPP)の細胞表面膜配向性
ヒト酵素の膜貫通部位である6個の疎水性α-helixと、細胞内外のループを模式的に示した.第2,第3の細胞外ループに存在する,ホスファターゼスーパーファミリーに保存された3個の配列モチーフのおおよその位置を示した.現在までLPP-1(PAP-2a)からLPP-3(PAP-2b)まで3種のアイソフォームが報告されているが,基本的に同じ構造を示す.